怒りの心の消し方〜スマナサーラ長老ご法話より

だいぶ秋も深まってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。ゴータミー精舎前の歩道にある金木犀が芳醇な香りを放ち咲き誇っていたのも、もう半月以上まえになり、冬がだんだん近づいてきていることを感じさせられます。

さて、先日ある事から『怒り』について深く学ぶ機会がありました。
『怒り』についてのご法話は何度もスマナサーラ長老がお話してくださっていますが、いざ『怒り』に直面したときになかなか自分の心を客観視することが難しく、あとになってから、ああすればよかった、こうすればよかった、などと反省することが多々あります。

しかし、先日、『自分の怒り』と『他人の怒り』に直面することがあり、そこから『怒り』というものはどうやったら収まるのか、あらためて『怒り』に関する長老のご法話を聞き直してみました。

私に起こった出来事はこんなことでした。

ある日の出勤時、見ず知らずの人から、あることについて突然怒鳴られてしまいました。しかし、その原因となった出来事は、わたしなりの理由があったものでした。そのため、わたしなりの理由があったのに!それを知らないのに怒鳴るなんて!と思い、その人に理由を説明しよう!と思ったのですが、そのときにハッと自分の心が怒りに燃えているのを感じ、これは自分の心がとても危険な状態だ、このままでは、喧嘩になってしまう、と、その場は、なんとか思いとどまることができました。しかし、口に出さずに抑えたものの、怒りは収まらず、その日いちにち苦しい気持ちで過ごすハメになってしまいました。

翌日、だいぶ落ち着いてから、あの燃え盛るような怒りは、ものすごいエネルギーだった、言わなくて本当によかった、と改めて感じ、このような怒りをどのように鎮火させていったらよいのか、長老のご法話を探してみましたところ、『怒り』についてのご法話がYouTubeに掲載されていました。

以下に、そのご法話を動画とテキストにてご紹介したいと思います。


怒りに負けない心

◆2013年3月に開催された『名古屋初期仏教デー』より
下記画像をクリックするとYouTube動画がご覧になれます。

〜怒りについての質問から〜

皆様にとってもね、怒りが込み上げてきたらね、そう簡単に消えないものになるんですね。怒りというのは火に例えていますから、まぁ、延焼して行くんですね。

だから、なかなか怒りが現れたらすぐ消えたということはね、なかなか訓練しないと出来ないものなんですね。理由は我々はこのもの凄い怒りを燃やす燃料を持っているんですよ。だからガソリンスタンドに火を付けたような感じなんです。
まぁ、ちょっとのマッチ一本だけでしょう。マッチ一本はこのホールに捨てたとしても火事にならない。例えばこの絨毯に捨てたとしても燃えない物だからね。まぁ溶けちゃって、そこで消えて済んじゃいますね。

しかしマッチ一本でもガソリンスタンドに捨てたらどうなるんですかね。
だから我々一人一人が、このガソリンスタンドのような物なんですね。

だからそこで怒りの炎がマッチ一本の炎であろうがタバコのちょっとした火種であろうがもう、大爆発して大惨事になるということがあるんですね。

だから、この我々は慈悲の瞑想でこの燃料がね燃えない物にしなくちゃいけないんですね。水にしなくちゃいけないんですね。

だから慈悲が完成した人はガソリンスタンドではなくてとてもキレイな水、いっぱい溜まっているような感じで、どこが火が上がったとしても、こちら水掛ければ、もう消えるというね、ところまで成長はします。まぁそういうことですから、皆様も同じように怒りが込上げてきたら自分で燃料を補給しないで、サッサッと消した方が良いんですね。

この我々が持っているこの凄い怒りを燃やす炎。燃料って何ですかと言うと、これは自我なんですね。

俺が偉い、何を言うのか、という態度なんです。俺が偉いんだから『あの人も幸せになって欲しい』と言っているのは口先だけなんですね。心の底からは、思えなくなっちゃうんです。偉いのは俺でしょうと。それは自我と言うんですね。これは頭がおかしいですよ。俺が偉いという事は成り立たないでしょうに。成り立たないのに持っているんですね。

これで怒りの炎がドカンと現れたりする。

この方(質問した方)が言ったストーリーでも相手方がね、まぁ…、もう、かなり悪い態度をとったと。そちらはそちらの自我なんですね。だから自我で自分が燃えているんですね。それで、こちらも燃料を持っているんだから、もう、ありがたく、火を付けていただくというね。そういう事でまぁまぁ仏教の教えの中で頑張って、頑張って、自分が怒りを収めたと、その収めた方が自分が自分が怒りで燃えるよりは気持ち良いんですね。

それで本当に自分が偉くなっていくんです。
怒る人は偉くないんです。
怒りを収める人が偉いんです。

周りの火も消しますからね。そういうことで大体やり方というのは、そうやって勝手に相手がね、まぁ…、人が怒ると自分が、その火が自分に付かないように気を付けなくちゃいけない。
だからその場合は、その客観するんです。
この人が怒りで燃えているんだとだから、そっとして置きましょうと。何で私に向かってそんなことを言うのかと、大したことではないのかと、という、こう自分がモロに火を付けてもらう事になるんですね。客観化する、アッこの人はもう爆発寸前だと。

まぁ、かなり怒りで燃えているんだ、という風に明るく見ておけばよろしいし、いくら何でも本人が苦しいだろうと、気持ち良いわけないだろうと。

色んなストレスがあったりしてね。まぁ自分のエゴやらね、プライドやら立場。色んな下らない事を考えたりして、それは一つも成り立たないんだから、自分で爆発しているんですね。それで周りが別にそれって爆発しないで、被害受ける必要ないでしょう。

だから『高圧電線だ、触らない!』と看板があったら、何で触るんですかね。自分の責任でしょうに。危険な物は、でも世の中にあるんですよ。『触ったらいけません、危険!』と言ってるのに、触ってみる、と言ったらその人のせいでしょうに。そういう事で、人が怒りますよ。

我々…皆様は、仏教のことを学んでいるんだから、怒るなよと言っているんです。
だから、怒らないことを訓練するのはお釈迦様の教えを〔釈尊〕直々の教えを聞いている方々だけなんですよ。

他の宗教でも他の仏教の宗派の宗教にしたっても、まぁ怒るのが悪いやと言っているだけで、これは徹底的に修行に入れようと取り入れようと〔して〕ないんです。どんな宗教でも怒っていいとは言っていないんですよ。しかし自分の宗教に取り入れてないんですね。怒りを無くすっていうことを、みんな天国に行きたがっているだけ、極悪浄土に行きたがっているだけ。

人格を向上しようとは思わないんですね。

そういう事だから私達はね、取るに足らない小さなグループかも知れません。だけど、私達から世界が見ると誰一人も怒りを制御する訓練していないんですね。だからと言ってそれを一つ一つ触ってはいけませんよ。みんな看板持っています。『触るなよ!』と。危険である、だからそちらに、そちらで自爆するようにと、放置しておけばよろしいんです。

しかし自分が怒りに打ち勝ったら、例えばある人の事を怒っていて、自分がその怒りを自分の力で、自分が頑張って無くしちゃうと、その人なら怒れなくなります。

だから、私が私の怒りを無くす事は、私の怒りの対象になった方々にとってもとてもありがたい幸せなことになりますね。ですから、一人で頑張って怒らないという事は自分だけの幸福じゃないんです。

周りにも幸福をもたらす立派な人間になっているんです。そういうことで人間がどんどん偉くなるんです。
自我を無くすことで偉くなるんです。ということで頑張ってください。


以上になります。

長老が、『怒り』は火である、ということをおっしゃっていましたが、まさにその通りだった!と、あの時の自分の心の状態を振り返ってみてそう思いました。怒りを抑えている間、自分の体が小刻みに震えているのを感じ、怒りのエネルギーで体が行動しようとしている様子があるんだ、とそのエネルギーの大きさにに驚きました。そしてその怒りを抑えることができるのは自分の心なんだ、と長老の法話を聞いてあらためて実感しました。

怒りを抑えたときはそのエネルギーが体のなかに籠ってしまい、とても気持ちが悪かったのですが、よくよく考えたら、このような気持ちの悪いものを、ほかの人にぶつけないで本当によかった、と心から感じました。

時間がたつにつれその怒りも収まっていき、また、その出来事によっていろいろなことに気づくことができました。
自分の身に起こった出来事について、ただ愕然とするだけでなく、そこからどのように対処していくのか、何を学んでいくのか、ということがとても大事なことだと感じ、今回気づくきっかけをくれた出来事に、あらため感謝して、日々、精進していきたいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

記事中の動画は協会の許可を得て掲載しています。法話のテキストは、動画用の字幕として関口玲さんが文字起こしされたものを使用させていただきました。

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